大阪中小起業家同友会大阪東ブロック
「びじねすフェスタ2011」
日時 11月19日(土) 午前10時〜午後5時
場所 クリエイション・コア東大阪(南館)多目的ホール
大阪府東大阪市荒本北1丁目4番17号
昨年、好評だったカタ技術史上初の展示会への出展。
お蔭様で、仕入れコストの削減や新しい受注案件に繋がり、有難うございました。
今年も懲りずに参加申込みを致しました。
今年も昨年同様、「手作り感満載」の出展になるかと思いますが、
今年は準備期間があります。
社内で、展示会への出展作品の作成をする事に決めました!
カタ技術の持てる全ての技術を総動員して、
お客様に「へぇ〜カタさんとこってこんな事できまんの?」
と感じていただけるような作品を、社員主導で製作中です。
初めての試みで大成功の結果になるか?次回へのいい教訓を得られるか?
未知数の所はありますが、社員が自分で考えた物が自分の持つ技術で製作して、
「ものづくり」の楽しさを味わってもらえたらと考えております。
是非とも11月19日、ご来場賜りますよう宜しくお願い致します。
2011年09月01日
カタ技術は今年もビジネスフェスタに参加します。#doyukai
posted by katagijutu at 10:18| 業務日誌
2011年04月29日
はるかのひまわりロード(南三陸町〜気仙沼)#doyukai
ひまわりロード実現に向けて
ワーキンググループができており
ひまわりロード上の全町長、気仙沼市長などと
合意ができており、5月に向けて動き出されるそうです。
すばらしい事ですね。
たった一つの行いが、皆様のちょっとした行いの積み重ねがこんなにも大きくなるんです。
日本全国の人々が、毎日、1つでいいから復興に向けて「何か出来ること」
少しずつ、でいいからこつこつと、続ける事が大事だと感じました。
ひまわりロードが出来たら、近郊の方、是非観光に行って復興に役立ててください。
神戸はルミナリエ、宮城はひまわりロード。
かならず、復興の象徴になる日がやってくると思います。
ワーキンググループができており
ひまわりロード上の全町長、気仙沼市長などと
合意ができており、5月に向けて動き出されるそうです。
すばらしい事ですね。
たった一つの行いが、皆様のちょっとした行いの積み重ねがこんなにも大きくなるんです。
日本全国の人々が、毎日、1つでいいから復興に向けて「何か出来ること」
少しずつ、でいいからこつこつと、続ける事が大事だと感じました。
ひまわりロードが出来たら、近郊の方、是非観光に行って復興に役立ててください。
神戸はルミナリエ、宮城はひまわりロード。
かならず、復興の象徴になる日がやってくると思います。
タグ:はるかのひまわり
posted by katagijutu at 16:38| 業務日誌
2011年04月11日
日本中に広がれ!「はるかのひまわり」 #doyukai
昨年、兵庫中小起業家同友会の社長様から教えていただいた、「はるかのひまわり」
はるかのひまわりの由来はこうである。
--------------------------------------------------------------------------------
兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどの スポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました 木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
「はるかは?どこや?はるかがいない」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉 のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混 乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・)
震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向っ て咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。
『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学 生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。
--------------------------------------------------------------------------------
続きを読む
はるかのひまわりの由来はこうである。
--------------------------------------------------------------------------------
兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどの スポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました 木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。
「はるかは?どこや?はるかがいない」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉 のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混 乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・)
震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向っ て咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。
『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学 生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。
--------------------------------------------------------------------------------
続きを読む
posted by katagijutu at 16:08| 業務日誌
2011年03月22日
2011年度カタ技術営業のご案内
posted by katagijutu at 10:42| 業務日誌
2011年03月21日
関西から出来ること。
東日本大震災で被害に遭われた方々ならびに関係者の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
皆様の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
3月11日に発生した大震災から10日が経ちました。
震災後、私は以下の事を心がけていました。
・精一杯仕事をする。
必ず自分の仕事がめぐりめぐって復興に役立っています。
・法律を順守する。事故をしない。
ただでさえ、消防、警察の手が足りない時に手を煩わせてはいけません。
・災害直後電話、ネットの利用は必要最小限に
被災者にリソースをあけておきましょう。
・妙なデマに流されない。無意味に買いだめしない
現状、普通に生活できているはずです。市場の商品をできるだけ被災地に
この文章を同友会のSNSに於いて記述したのは14日です。
続きを読む
皆様の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
3月11日に発生した大震災から10日が経ちました。
震災後、私は以下の事を心がけていました。
・精一杯仕事をする。
必ず自分の仕事がめぐりめぐって復興に役立っています。
・法律を順守する。事故をしない。
ただでさえ、消防、警察の手が足りない時に手を煩わせてはいけません。
・災害直後電話、ネットの利用は必要最小限に
被災者にリソースをあけておきましょう。
・妙なデマに流されない。無意味に買いだめしない
現状、普通に生活できているはずです。市場の商品をできるだけ被災地に
この文章を同友会のSNSに於いて記述したのは14日です。
続きを読む
posted by katagijutu at 18:51| 業務日誌