2011年04月29日

はるかのひまわりロード(南三陸町〜気仙沼)#doyukai

ひまわりロード実現に向けて
ワーキンググループができており
ひまわりロード上の全町長、気仙沼市長などと
合意ができており、5月に向けて動き出されるそうです。

すばらしい事ですね。

たった一つの行いが、皆様のちょっとした行いの積み重ねがこんなにも大きくなるんです。

日本全国の人々が、毎日、1つでいいから復興に向けて「何か出来ること」

少しずつ、でいいからこつこつと、続ける事が大事だと感じました。

ひまわりロードが出来たら、近郊の方、是非観光に行って復興に役立ててください。

神戸はルミナリエ、宮城はひまわりロード。

かならず、復興の象徴になる日がやってくると思います。
posted by katagijutu at 16:38| 業務日誌

2011年04月11日

日本中に広がれ!「はるかのひまわり」 #doyukai

昨年、兵庫中小起業家同友会の社長様から教えていただいた、「はるかのひまわり」

はるかのひまわりの由来はこうである。

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兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかさんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどの スポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。

平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました 木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階に寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。

「はるかは?どこや?はるかがいない」はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所にいった姉 のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う)妹の死をやっと納得できたのは、震災の混 乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ・・・)

震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向っ て咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。

『はるかのひまわり』

何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花はたくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学 生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。

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posted by katagijutu at 16:08| 業務日誌